好きでいたい

好きなものを好きなように好きでいたい

ありがとうさようなら

いーつーのーことーだかーおーもーいーだしてごーらんー

あんなこーとーこんなこーとーあーったでしょー

 

 

思い返せばこの地で、実にいろいろなことを学びました。

 

 

 

コミュ力爆上がった

高校卒業&地元を出るまでは、めちゃくちゃ自分で自分のことを人見知りだと思っていました。

今思えば何にあんなにおびえていたのかわからないけど、いつも何かにビクビク怯えていて、私なんかが目立っちゃいけないと思いこんでいました。

 

でも地元を出て、誰も知り合いのいない土地でひとり暮らしを余儀なくされると、そんなことを言っていられなかった。(失礼だけど)とりあえず大学で友達を作らなきゃという、強迫観念にも似た焦りがすごかった。

そして今となっては、きっとこの大学でしか出会えなかっただろうなと思える友達に出会えた。決して数は多くないかもしれないけど、私にはこの友達がいてくれたからこそ、この私なりのキャンパスライフたり得た気がする。

 

 

 

そして、大学で無事、将来やりたい職業を見つけることができました。

大学に入る前は、漠然と「こんな仕事に就くんだろうなー」と思っていたことはあったけど、今思っている将来就きたい職業ほどの熱はもちろんなかった。たまたまこの職業に出会えたのかもしれないといえばそうかもしれないし、この大学だったからこその出会いだったかもといえば、それもそうかもしれない。

 

しかも、まさか大学入学時には、その目標のために大学卒業後に就職じゃなくて、大学院進学という道を選択するとは思わなかった。

あまり親には言えないけど、まだこの選択が良かったとは言い切れていなくて、まだ心のどこかで「やっぱりそのまま就職する道もあったんじゃないか……」と思わないこともない。

でも、このレールに乗ってしまった以上、親と神様が与えてくれたチャンスだと思って、あと2年間最後の学生生活になるだろうから、一生懸命勉強したいな。

あと、めっちゃゼミの先生に指導はしてもらいながらではあったけど、卒論を書きながら、少しだけ「研究するって面白いな」と思えたので、もう少し研究をしてみたいという思いもある。

 

 

あと、この4年間の大学生活では実に様々なことをやりました。

後述するバイトもジャニオタ活動もそうだけど、それ以外にもマジで様々なことをしました。

 

運転免許はまさかの、大学に入ってできた友達と合宿免許に行って取った。あの3週間の同居生活があったから、それに特に不満もなく過ごせたからこそ、今もその友達と仲良くできているんだろうなと思う。

 

いろんな大学の人と知り合いになるチャンスを得た。

どうしても九州の大学にいると、知り合いになるとしても九州の大学同士でしかなかなかチャンスがないけど、私の場合は、北は北海道から南は鹿児島まで、いろいろな大学の人と会うチャンスがあり、お互いのことを話すことができた。違う大学だからって、自分には到底理解できなさそうなことを学んでいる人だからって、全然分かり合えないわけじゃなかった。むしろ、私が今までそう思ってただけでみんな同じ大学生なんだってことに気づけたと思う。これは学生じゃなくなっても、社会に出てからも大事なことだろうし、忘れたくない、忘れてはいけないことなんじゃないかなと思う。

 

 

あと自分でも、自分の進路を探すことに一生懸命で、たくさんのインターンシップに参加した気がする。1年生の終わりには、学内合同企業説明会の運営メンバーをやったし、2年の夏には地元で公務員インターンシップをしたし、2年の冬には政治についてのインターンシップをしたし、3年の夏には第一次産業インターンシップをした。今思い返せば、とにかく早く、自分の将来の方向性を見極めたくて、確定させたくてやったようにも思うし、「人生の夏休み」と言われる、時間だけはある大学生活、これも何かやらなければという強迫観念にも似た気持ちだったとも思う。

 

首都圏の大学生に比べたら、全然大したことしてないのかもしれないけど、この地での、私なりにできる大学生の学びをしたと思う。

 

 

 

 

・働くということ

大学生になって、バイトを始めました。

 

高校はバイト禁止で、別にそれまでバイトしたいと思ったこともなかったけれど、大学生になって初めて、労働とは、金を稼ぐということはどんなことかを学びました。

 

最初のバイト先に選んだのは、ひとり暮らしのアパートからめちゃ近いドラッグストアで、幼稚園の頃から密かに思っていた、「レジ打ちのお姉さんになること」が達成できた。

でもそれと同時に、いかにお金を稼ぐことが大変なことなのか、そしてそれをいかに自分は知らないで、想像もしないで生きてきたのかということを思い知らされた。なんか話が深刻。

このバイト先は忙しい時間帯とそうでない時間帯の差がどうしても激しくて、その暇な時間に耐えきれず、1年ぐらいで辞めました。

 

次に選んだバイト先は、思い返せばなかなかチャレンジングな決断だった、インド料理店でした。

ガチでシェフはインド人、ネパール人で、日本語もいまいち通じなくて、時には身振り手振りでコミュニケーションを取るという、ボディランゲージのありがたさを思いがけず痛感した職場でもありました。

日本人の多くがそうであるように、私も多分に漏れず、特定の宗教等は信仰していないつもりなんですが、ここで出会ったシェフ、同じバイトの立場のネパール人の女の子はいずれもヒンドゥー教を信じていて、文化の違い、信仰の違いから学ぶことがたくさんありました。

例えば「お腹空いたからそこのスーパーでインスタントラーメン買ってきて」とお使いに出された時(営業中ではあるけれど、客が少なく自分たちが暇で腹が減っていたらちょっくらインスタントラーメンでも食うかというノリの、割とゆるい職場であった)、自分で買い物する時は気にしないけど、シェフに「自分たちは牛が食べられないから、裏の成分表示とか原材料名とかちゃんと見て、牛エキスも何も入ってないのを選んできて」的なことを言われたのは今でも覚えています。ヒンドゥー教徒の人からしたらまぁ当たり前くらいの感覚なのかもしれないけど、それまでアレルギーもなく、思想・信仰上食べちゃいけないものもなかった私にとって、それは結構衝撃でした。しかもそれを、職場で唯一ちゃんと日本語が理解できる、でもヒンドゥー教徒ではない私に託されるプレッシャーたるや。

 

あと、このバイト先では開店直後の10時位に、問答無用でまかない的にチャイが出されました。私はそれまでチャイなるものを飲んだことがなくて、初め出された時は「(えーまじかよー、でもこれここで断る勇気ねーわー)」みたいな感じで渋々(失礼)飲みましたが、日本で売っているチャイほどスパイスが強くなくて、私のファーストチャイ(?)にしては、とても当たりだったかなと思っています。しかも本場の人にその場で作ってもらえてたので、今考えるととても贅沢だったと思う。

 

でもここも忙しい時と暇な時の差が激しかったのと、時間外労働が結構横行していたことがあったのが大きくて辞めました。例えば私は今でもこれはどうだったのかと思っていますが、私が日本語ができる、主にレジや注文を担当していたからという理由で、一日の売上を本社に報告したり、売上金の確認等もしていて、それが時間外労働で行われていたのがキツすぎ&納得できなすぎだった。これは閉店後にやるのでというよくわからない理由で給料が出ず、だったらこっちは少しでも早く終わらせたい、でも大体いつも伝票とレジの金額が合わなくて、その日の注文の履歴をひっくり返して辻褄が合うまで確認するみたいなことをしていました。

それが当たり前みたいに思ってたインド人の社長はどうかと思うし、しかもその社長に1回だけ会った時、「大学卒業したらうちの会社においで」と言われた時には愛想笑いしかできませんでした。

 

 

それから半年ほどのニート期間を経て(大学に通っていたのでニートではないが)、その次に始めたバイトは、ついこの間までやっていた、地元で名の知れた飲食店でした。

それまでのバイト先を辞めた理由が、暇な時間が耐えきれないというのが大きかったんですが、ここは逆に有名店過ぎて、忙しすぎました。

特に土日祝は、開店と同時にお客さんが来て、しかもそれが昼過ぎ、下手したら夕方まで途切れない。その忙しさのあまり、私の要領も悪いせいか、あまり丁寧な接客ができなかった気がしているのがちょっぴり心残りです。

 

ここでは、たぶん今までのバイト史上で1番人間関係で良くしてもらったような気がします。

そんな人はめったにいないと言われればそれまでですが、自分にあまり自信がなくて、人と仲良くなるまでに時間がかかる私でしたが、働かせてもらった1年半でいろいろな人と仲良くさせてもらい、いろいろな話をさせてもらい、相変わらず忙しすぎたけど、快適に働かせてもらいました。

 

強いて悪い例?を挙げれば、前にもこのブログで話したことがありますが、このバイト先では特にOさんとYさんに翻弄されました。

pushushu-love-like.hatenablog.com

 

pushushu-love-like.hatenablog.com

 

例によってOさんには嵐の活動休止に伴って、まぁまぁの爆弾を投げられ、「もうこの人とは仲良くできない」と思いましたが、それからは意外と思っていた以上に仲良くでき、私ならジャニーズ、OさんならAAAみたいな感じで、お互いに興味を持ち合って楽しい休憩時間が過ごせました。

 

Yさんはバイトの私にもフレンドリーで、仲良くしてくださった貴重な男性社員さんでした。思い返せば1番印象的だったのは、嵐がインスタ解禁等、情報過多な発表をした2019年11月3日のバイトの日。同じ時間に休憩していて、Yさんは私が嵐及びジャニーズのことが好きなのを知っているので、そんな感じの話をしていて、私が「ジャニーズも色々変わりますねぇ〜」みたいに言ったら、Yさんが「ジャニーさんが死んでから、ジャニーズ色々変わったよね!」と言われたことです。彼のことなのできっとあの発言に深い意味とか悪意はなかったと思いたいですか、今でもあの発言の真意は計りかねています。

 

このバイト先ではこんなふうに(悪い例しか挙げてないけど)、よくも悪くも人間関係に翻弄されましたが、そのおかけで?私が逆に人間として強くなれたような気もします。

私がジャニーズを好きなのは、私が他の誰でもない私のために好きでやっていることであって、それを別にジャニーズ好きじゃない人に悪く言われようがどうこう言われようが知ったこっちゃない、どうでもいいわくらいのメンタルを手に入れ、大人になれました。思わぬ副産物です。

ある程度の忙しさを求めて入った職場でもありましたが、ここは流石に忙しすぎて、忙しければいいわけじゃないんだな、てか私にはそもそも接客業向いていないかも(重大事実の判明)と思いました。

 

 

 

 

・ついに私はジャニオタになった

そして私の大学生活を語る上で間違いなく欠かせないのは、ジャニーズを今まで以上に好きになり、ついに現場に行くという行動を起こしたことです。

 

私は小5で突如嵐に堕ち、それからゆるく茶の間をしていました。まぁ貢ぐだけのお金もなかったし、それはそれで楽しかったです。

大学生になり、自分で稼いで自由に使えるお金も増えましたが、なんとなく茶の間でい続けていました。

 

 

そして私とジャニーズの関係を大きく変えたと言っても過言でない、ターニングポイントが来ます。

2018年の夏、3年の夏に、大学で一番仲良くしているセクゾ担の子に、嵐とセクゾのワクワク学校に誘われました。

どうやら他の子に振られ、そのおこぼれが私に回ってきたようでしたが、意を決して行ってみたら、めっちゃくちゃに楽しかった。生でジャニーズを観ることがこんなに楽しいなんて。それまで心のどこかで疑っていた、「本当に彼らは存在しているのか?」という疑念を少し払拭できたような気がします(今も信じきれてはいない)

 

それまでも茶の間で悪くはなかったけど、なんで大学生になったタイミングでファンクラブに入らなかったのか、コンサート等に行こうと思わなかったのかと、それまでの大学生活で得られたかもしれない楽しみを思うと、それまでの自分を責めずにはいられませんでした(深刻)

 

それからというもの、今では嵐以外に、V6、ジャンプ、セクゾジャニーズWESTのファンクラブに入り、しかも全く専門外、そしてこれからも専門外だと思っていたジュニアについても興味を持つジャニオタにすくすくと育ちました。

ジャニーズが好きならファンクラブに入らないといけないとかコンサートに行かないといけないとかを人に強要するわけではないけど、なんだか今の私はジャニーズにのめり込み過ぎでいる気もするけど、今のところは特に日常生活に支障をきたしていないし、むしろ日々の楽しみとして潤いを与えてもらっているので、こうなったことに後悔はしていません(重い)

 

 

 

そんなこんなで、間違いなく人間的に学び、成長した大学生活。

これからは大学院生となり、2年後に希望の職に就けるように勉強しながらも、きっと人生で最後の学生生活だと思って、この延長されたモラトリアムを精一杯楽しもうと思います。

大学院に行かせてくれる親に感謝。

 

 

 

世間がコロナ渦にいる今、規模は縮小されましたが、とりあえず私の大学では学位授与式、いわゆる卒業式があります。挙行に賛否あるかもしれませんが、当事者としてはやってもらえることになってよかった、これからしばらく離れることになるであろう友、学ばせてくれた恩師との区切りの機会となり、とてもありがたいです。

 

 

しばらくの間、下手したらもう来ないかもしれないこの地。

4年間、暮らさせてくれて、学ばせてくれてありがとう。

 

 

 

卒業式に行ってきます。