好きでいたい

好きなものを好きなように好きでいたい

それだけは変わらない/いつか笑ってまた再会そう絶対

来ちゃったなぁ、2020年の年末。

 

私は1年の中でも、12月が1番好きです。

暑いよりは寒いほうが得意だし、冬服はかわいいし、特に12月後半あたりから(私も含めて)世間がクリスマス~年末年始のことを考えて浮かれ切っている(言い方)雰囲気が好きだし、何より誕生日があるしということで、12月が好きです。

毎年毎年「このまま永遠に12月だったらいいのに…。年が明けなかったらいいのに…」

と思っている。ちなみに今年もすでに何回も思った。

 

特に今年は強く強く、思っている。

なぜなら、嵐が2020年末で活動休止するから。

 

 

活動休止発表が寝耳に水のような形で飛び込んできた、2019年1月27日のことは今でも鮮明に覚えているけれど、あれから2年経とうとしていることはマジで実感がなくて、何なら今でも彼らが来年からグループとして活動しないことがいまいちリアルに感じられない。まぁ実際に今はそうなっていないからリアルに想像できないだけで、グループで活動しなくなったら嫌でもその状況を実感することになるから、時間の問題かもしれない。

 

 

嵐が2年近くも前から活動休止を発表してくれていたおかげで?、冠番組は(私が見る限り)円満に最終回を迎えられていると思うし、各メディアも送り出すかのような形で嵐の活動休止を取り上げている2020年末。

私のこれまでの23年の人生で、ここまで円満に活動休止だったり(今回はそうではないけど)解散に向かっていったグループを知らない。なので、彼らは活動休止という一般的にみればマイナスな選択を、できる限りポジティブに変換しようとしているし、実際今のところはそうできているような気がする。

冠番組に限らないけど、1つの番組が終わる時なんて、大体悲しい雰囲気になるだろうに、私が見た限りでは、「VS嵐」も「嵐にしやがれ」も盛大に彼らの選択を支持し、送り出していたように感じた。

 

 

 

今年、活動休止に向かって彼らはやりたいことがありすぎるくらいにあったはずで、そしてそれを実現できるだけのパワーも持っていたし、準備もしていた。

私がそれを1番に感じたのはNetflixの「ARASHI's Diary:Voyage」の「JUN's Diary」でした。このストーリーはマジで、1番見て良かったと思ったと同時に、見るのが1番しんどかった。

松本潤氏が嵐のコンサートの演出を一手に担っていることは、もはや嵐ファンに限らず、ジャニーズファン全体だったり、もしかしたらジャニーズファン以外の人も知ってたりかもしれないことだけれど、その彼に密着すると、彼が一体どれほどの大きなことを動かしていて、その先頭を走っているのかということが、今までわかっていたつもりだったことを覆されるくらいに思い知らされた。

多分ファンが思ってる以上に彼は嵐を大事に思って嵐を背負ってて、でもそれは自分がやりたくてやってることだからと弱音を見せない。

「Turning Up」のMVに移りこんでいたフォーラムなる会場(適当)で、本来ならば2020年11月にライブをやるつもりでいて、そのつもりでMVに移りこませていたということを知った時に、もうなんか私が泣きたくなった。

そして「きっと嵐が活動再開した後では、今回みたいなアメリカでのライブはやらないと思う。やれないというほうが正しいかもしれないけど」って言ってるのが切なすぎた。確かに活動再開した後のことは誰にもわからないし、今みたいな勢いが維持できているとも言い切れない。でもそのことを彼ら自身が1番わかっていて、それを自覚した発言をしていることがすごく切なかった。やっぱり何事もタイミングだと思うから、今回はアメリカでのライブをやらせてあげてほしかった。

 

 

嵐はこんなことを言われることを望んでないかもしれないけど、この「JUN's Diary」を観た時に、

「彼らが一体何をしたんだ。彼らがなぜこんなひどい仕打ちを受けないといけないのか。」

とすら思った。別に準備をしていれば、大きなことを考えていればそれが偉いとか必ずかなう、成功するべきとは思わないけど、チャレンジすらさせてもらえなかったし、しかも彼らはそれを今後「また再チャレンジしよっか!」とは言えない状況なわけで。

あんな富も名声も何もかもあるような男が、人生を賭けて身を賭してやってるのに、報われる報われないの前に評価してももらえないなんてひどすぎる。まぁ富も名声も何もかもある人の努力がいつも認められるべきとも思わないし、富も名声も何もかも持ってるから偉いわけでもないけど、でもやっぱりファンのひいき目もあって、彼と彼らの特に今年の努力は精一杯報われて欲しかった。

私がこんなに感情的になることはあまりない。私が思ってもどうしようもないこと思うことが多いけど、これはあまりにやるせなさすぎる。

 

「Voyage」に限らず、各媒体で

「今年は色々できなくなることが多い中で、自分たちにできることを探してやってきました」

みたいなことを散々言ってたけど、そう言いつつも自分たちの心の中ではとんでもない、誰にぶつけてよいかわからない思いを抱えてたんだと(勝手に)思うと、この人たちの心の強さを素直に尊敬したと同時に、心が強すぎるとも思った。仕事ではそんな面を見せるわけにはいかないかもしれないけど、せめて家とかメンバーだけの空間だけとかでは、やるせない気持ちを吐露できていてほしい。(私が想像するに)こんな大きなこと、簡単に整理は付けられないと思う。

 

レギュラー番組を持たない松本潤氏は、嵐が活動休止をしたら定期的に目にすることもないので「引退か?」みたいなことを騒がれ、それについて彼が正式に否定したりなんかのひと悶着?もあった。もうしばらくの間、彼に何も言わないでほしい、少しの間好きにやらせてあげてほしい。それは松本氏に限らず、他のメンバーにも言えることだけれど、特にこの2年、自分の事はないがしろにして頑張ってくれたと思うから、少し自堕落になってもいいと思うよ。

 

 

あと、これも「Voyage」の中でいつかの翔くんが言ったみたいに、ある種このことから目を逸らし続けてきたところがあるかもしれない。私は自分の中では、「嵐が私の生活から物理的にしばらくいなくなることが、いまいち実感としてよくわからない」と思ってきたけど、もしかしたら意識的にそのことを考えないようにしてきたのかもしれないし、考えたくなかったのかもしれない。だからふとした時にとてつもない喪失感みたいなものが襲ってくる。「嵐にしやがれ」とか「VS嵐」が終了に近づいっていっている内容は十分把握してたけど、なんか最後の最後まで他人事みたいな感じがしていて、最終回が始まってやっと「あ、ほんとに終わるんだ」と思ったレベルだった。

 

 

11月3日のデビュー日に行われた、新国立競技場での配信ライブもそうだったと思う。そもそも本来の予定は5月だったし、その時は有観客で考えていた。時期がずれにずれて、有観客ではなく無観客にもなった。配信にしたことで、有観客の時には観られなかったはずの人も観ることができるようになったと思うから(私もそうだし)、これはこれで良かったのかもしれないけれど、でもやっぱりあの大きな新国立競技場を埋める嵐も見たかった。がらっがらの新国立競技場で、努めて笑顔でライブをしている嵐を観ることになるなんて、わずか1年前に誰が想像したんだろう。

 

 

このライブで、私は特に「5×10」を聞いてる時、もう嵐を信じようと思った。

今までも嵐を信じてきたけど、今後の嵐も信じて待てるかということにやはり一抹の不安があったのも事実だった。でもこの曲を聴いた時、「今後の嵐も信じられる」と思った。何の根拠もないけど、きっとこの人たちは帰ってくると思った。そしてそれを私は、私なりのペース・気持ちで待とうと思った。

 

そして私はシンプルに、嵐5人のかわいい笑顔が好きだ。全員がアラフォーのグループに「かわいい笑顔」とか言うことでないかもしれないけど、間違いなく私にとって彼らの笑顔はかわいくて、できれば今後も更新され続けながら観ていたいものでもある。しばらくの空白期間はあるけれど、突如インスタとかTwitterに嵐5人の笑顔の集合写真とかアップされて号泣したい。

 

私に限らず、ファンは基本的にコンサートでは見る専門なので、コンサートの構成とか難しいことはよくわからないはずだけれど、嵐は自分たちで作ることにすごく誇りを持っているだろうなとすごく思った。ああでもないこうでもないと言いながら、完成形のないものを追い求める作業はすごくしんどくて、何度もやめたいと思ったこともあるんじゃないかなと思う。そしてそんなことを何年も何年も続けてきて、常にそのクオリティを更新し続けてきた彼らのことを、すごくシンプルに尊敬する。

 

そして私は終始、「勝った嵐勝った」しか言ってなかった。何に嵐が勝ったのかはよくわからなし、そうだとして私が評価することでもないけど、でも私の中では確実に何かに嵐に勝った。

あとシンプルに、コンサート会場に堂々と酒持ち込む嵐つよい。

 

 

 

私は嵐のほかに好きなジャニーズグループはたくさんいるし、ジャニーズ以外でも好きな人応援している人もたくさんいる。

でもやっぱり今後、誰をどんなに好きになろうとも、やっぱり私の好きの原点は嵐だなと強く思っている。

小5の11月、何気なく出会った私と嵐で、嵐を応援することで知らない世界をいっぱい知れたし、常に楽しい世界、楽しい思いだったかと言われればそうではないけれど、でも確かにあの時、出会っておいてよかったとは思う。それだけは変わらない。

 

 

 

「いつか笑ってまた再会そう絶対」とかファンが思ってしまうことが、大野智氏及び嵐にとっては、うれしくもあるかもしれないし、でもプレッシャーになるのかもしれない。でも、心の中で思うだけは自由だから思わせてほしい。わがままでごめんね。

 

 

彼らが計画していたけれどできなかった数々のことを考えれば想像すれば、このコロナ禍はマジで恨む。恨むしかない。私自身の2020年もかなりコロナに振り回された。

でもそれと同時に、コロナ禍でやり残したことがいっぱいできたはずたがら、それを希望に嵐を待てるかもしれないと思うと少しだけ感謝しなくもない。マジで少しだけ。早くマスク生活終わりたい。

 

嵐が活動休止を発表した翌日のニュース番組では、朝昼晩問わずにこの話題が取り上げられたわけだけれど、私がその中でもZIP!の風間俊介氏、愛をこめて風間ぽんのコメントがすごく好きでした。

「彼らが本当に時間をかけて話し合って話し合って悩み抜いて決めたことだから、ファンの人が受け入れるのに時間がかかっても仕方ないこと。」(ニュアンス)みたいな感じだったんですけど、彼らの決断をすぐに受け入れられなかった私「ファンなら彼らの決断を尊重してあげなきゃいけないのに…」とか思っていたんですが、そんな一ファンのどうしていいかわからない思いをそのまま肯定してくれたような感じがしました。そしてきっと風間ぽんもこのことを受け入れるのに時間がかかったんだと思う。同じ会社の仲間として、友達として。

 

 

 

いつもみたいにふざけたブログ、軽い口調でこの嵐に対してのブログも書きたくて、読んでくれる人がいるならば笑ってもらえるような感じにしたかったし、何よりも未来の自分が読み返して笑い転げるようなおもろい記事を残したかった。でもどうしたって、私の今の嵐への思いをギュッとまとめて綴ると、こんなしんみりとしたブログになってしまった。だれもこんなしんみりした記事は望んでないはず!少なくとも読み返す未来の私は望んでないし、勝手にこんな語られる嵐も、できれば楽しい明るい記事で語られたかったはず!

 

 

嵐!大好きだったし、今からもきっと大好きだよ!

きっとやるせない、切ない思いを抱えに抱えたであろうこの2020年でも、自分たちにできることを最大限考えて実行してくれた嵐のファンでいられたことだけでうれしかった。

私たちファンを最大限楽しませてくれている姿も大好きだけど、わちゃわちゃと内輪で外野にはよくわからない話をして楽しそうな嵐が何よりも好きだったし、好きだ。活動休止してからも、たまに飲みに行ったりしてくれたらうれしいし、それをマジでたまにでいいからこっちに垂れ流してくれたらさらにうれしい。

 

 

また会おうね、嵐!