好きでいたい

好きなものを好きなように好きでいたい

信じることがすべて/ジャニーズになりたい

私はジャニーズを応援するうえで主軸を嵐に置いています。

いいですか、もう1回言います。

ジャニーズを応援するうえで、主軸を嵐に置いています。

 

・・・この時点でこの日付をみた段階(もう昨日だけど)で、お気づきの方はお気づきかもしれない。

嵐が2020年で活動を休止するそうです。

 

私がこのブログを開設しようと思った最大のきっかけです。

これまでいろいろな方のブログを読ませていただいて、いつの間にか私も「書きたい」となんとなく思うようになっていました。

でも、続けられる自信がないとかあんなに面白い記事は書けないみたいな感じで、のらりくらりと過ごしてきました。

 

そんなときに。忘れもしない2019年1月27日17時過ぎ。

嵐が2020年いっぱいでの活動休止を発表しました。

 

私はその知らせを母からのLINEで知りました。

LINENEWSの速報のスクショとクマがめっちゃショック受けてるスタンプとともに。

事態が飲み込めなかった。

 

私は感情が表に出にくくて、予想外のことが起きても(心の中では大騒ぎでも)落ち着いてるタイプの人間です。自分でもそう思っているし、人からもそういわれます。

 

でも、これはさすがに驚いた。驚きのあまり1人暮らしの部屋で「は!?!?」ってめっちゃでかい声を出してしまった。

 

すぐにLINENEWSで事の概要を知り、ファンクラブでの動画を観にいきました。

どうしても事態がすぐには飲み込めなくて、一人で「・・・ん?ふふ、ん??」みたいに若干笑いながら、必死に理解しようと努めました。

 

今回の彼らからの言葉と報道を知る限りでは、リーダーである大野智(以下、智)が「2020年で自分の嵐としての活動を終えたい。何にも縛られない普通の生活がしたい。(ニュアンス)」と思ったことが始まりのようでした。

私はその気持ち、わかるような気がします。

私は芸能人でもなければ、有名人でもないけれど、嵐に限らず芸能人、有名人の方々の生きづらさは程度の差はあれど、ストレスのたまるものだと思います。

なのでその環境から脱したいというのもわからないこともないです。

 

智は(私の思う限り)やる気のないキャラで、リーダーもじゃんけんで決まった役割であってあだ名みたいなものだし、(その通りといえばその通りですが)完全に仕事と割り切って嵐をやっているという感じだったと思います。

仕事は仕事なんだけれど、歌唱力やダンスは嵐随一だし、やる気のないキャラもなんだかんだ愛しています。

 

でも。いくらやる気のない彼だからといって「自由な生活がしたい」という気持ちだけで、今回のようなことを言い出したわけではないと思います。

 

彼だっていつまでも馬鹿じゃない、やる気がないわけじゃない。

「嵐」という自分の立場。背負っている数々の仕事。事務所の期待。

そのすべてをなげうつということはどういうことかというのは、ただのファンで素人の私が想像するのでさえ大変なことですから、張本人の彼らにしてみれば言うまでもないことだと思います。

 

でも、そのすべてを一度なげうってでも、智は普通の生活がしたいと思った。

何か別の世界を知りたいと思った。

 

ファンクラブ動画を観ても事態が飲み込めなかった私は、VS嵐嵐にしやがれの録画していたやつを観ました。

仕事だし、彼らはプロだから当然なのかもしれないですが、これから活動休止をしようという雰囲気、不仲であるという雰囲気にはとても見えませんでした。

少なくとも、今回の活動休止の言い出しっぺであると思われる智に対する、他のメンバーの接し方、反応が、私が気づかなかっただけで何かぎこちないものがあるのかもと思ったんです。

 

でも、何もなかった。少なくとも今の私の目には。

私の知っている、いつもの嵐がいたようにみえました。

 

まだまだ咀嚼できないし、今は比較的落ち着いたと思っているけれど、いつまた何のはずみで無限ループに入るかわからない。

でも、今は彼らを信じようと思います。

「解散」ではなく、「活動休止」という選択をした嵐を。

「不仲ではない」といった彼らを。

 

私は彼らを、嵐を信じたい。

 

 

・・・で。信じることにしたのはいいんですが。

当人でもないし、ましてや事務所の人間でもない私が一番恐れているんですよね。

彼らの人気がどうなるのか。

 

もちろん、彼らの人気のピークは過ぎたと思っています。

私がそうだったように、08~10年くらいが彼らの人気のピークだったと思っています。

でも、今も(ひいき目もあるかもですが)ジャニーズ事務所という大きな事務所の屋台骨を支える存在であり、日本の芸能シーンに欠かせない存在だと思っています。

ゴールデンタイムには冠番組を2つも持ち、グループとしてのCMキャラクターや個人としてもたくさんのCMキャラクターをつとめています。

年末のテレビ誌特大号も嵐がほとんどすべて表紙を飾る状況が、もう何年も続いています。

 

彼らが活動休止をした後、番組やCMは終了、契約打ち切りになると思います。

それは当然といえば当然のことです。

 

でも、いつの日かわからないけれど、嵐が帰ってきた時、彼らに居場所はあるんだろうか。

 

こんなことは一ファンが心配してどうなることでもないし、彼らもその辺のことはすべて考えたうえで今回の決断をしたんだろうと思います。

 

でも、それでも不安でたまらない。

 

私は嵐のほかにV6、ヘイセイジャンプセクゾ、ジャニーズウエストを応援していますが、応援の場の主軸はテレビにあります。

つまり冠番組や個人で出演する番組がない限り、たまにあるMステなどの歌番組やたまに買うCDなどでしか、彼らを補給できません。

 

私が住む地域では、今私が嵐の次に注目しているヘイセイジャンプの「いただきハイジャンプ!」は放送されていません。実家のある山口に帰ったときに、妹が録りだめしているのをむさぼるように観るのみです。

「スクール革命!」は観ることができますが、メンバー同士の絡みが大好きな私としては正直物足りない・・・という感じです。

セクゾやジャニーズウエスト、V6に関しては、Mステでたまに会うくらいでファンを続けています。

 

そんな中で、嵐の露出の多さは間違いなく私がジャニオタであることを支えてくれました。

2021年になったら、私はどうなるんだろうか。

 

 

今回のことで身に染みたんですが、

私は私の人生において、嵐に限らずジャニーズを、自分の中心に近い位置に置きすぎている。

 

だから(今回のようなことはまれですが)誰かが活動休止するだの、誰かの熱愛報道が出るだのに過敏に反応しすぎているんですよね。

なんだか今回のことで、今までももちろんあったけれど、彼ら(ジャニーズ)と私たちファンの間に大きすぎる線が、溝が引かれてしまったような気がします。

どんなに私たちが嵐を、ジャニーズを、彼らを求めていても、時には絶対的に受け止めてもらえないときがある。

自分が彼らを自分の中心に置きすぎていれば、なおさらその時がつらくなる。

 

 

(ちょっとここからは賛否両論あると思いますが)

私はヘイセイジャンプセクゾも応援しています。

がしかし、岡本圭人くんの活動休止や松島聡くんの活動休止は悲しい、寂しいとは思うものの、そこまでショックというか受けていませんでした。

ほかにも、オカダの結婚や三宅の健ちゃんの熱愛報道、山田くんの熱愛報道にはそこまでショックを受けていません。

「ショックはショックで、(結婚はまだしも)熱愛は隠し通してほしかったけど、彼らも人間だから、熱愛の1つや2つ、彼女の1人や2人いないほうがおかしい。」と思っています。

今まではそれは、まだまだ私はジャンプ初心者、セクゾ初心者でまだまだ勉強が足りないから、彼らにそこまでの思いがまだないから、そこまで悲しくないんだ、寂しくないんだと思っていました。

 

でも今回のことではっきり思った。

私の主軸に嵐があるからだ。

 

実は今年のジャンプの元旦公演に行って以来、若干というかかなりジャンプに偏っている自分がいました。

今まで観ていなかったスクール革命を観るようになり、個人はそれぞれどういう人なんだと勉強するようになりました。

最近は「いつでも家で彼らが観たい」と思う気持ちが日に日に高まり、ライブDVDの購入を検討していました。

嵐ももちろん活動は追っていましたが、尋常じゃない勢いで自分がジャンプに肩入れしていくのを自分でみながら「・・・あれ?私は嵐よりもジャンプが好きなのか?」と若干自分で自分が信じられない感じでした。

 

でも、今回のことではっきりとやっぱり私の主軸には嵐がある。ということを再認識できました。

「嵐を裏切っていなかった」という、どこか安心感のようなものと同時に

「私は嵐におんぶにだっこだ」と思いました。

 

もし、もしも彼らが長い間帰ってこなかったらどうしよう。

帰ってきても、彼らの活躍する場所がもうなかったらどうしよう。

 

こんなことは私が考えてもどうしようもないのに、というか、こんなことを考えるから頭が混乱するのに、苦しくなるのに。

 

彼らと結婚出来るとか友達になれるとか、知り合いになれるとかそういう可能性は限りなくないだろうし、彼らの人生のすべてに私が責任をとれるわけではない。

でも、どこか私の人生の、全部とは言わないけれど、かなり大きな部分を彼らに捧げている。彼らに捧げすぎている。

彼らが私たちに「そうしてほしい」といった限度をきっと超えている。

 

今回のように若手のジャニーズにハマることになったのは神様からの思し召しかと思いました。

嵐だってもう結婚適齢期はとっくのとうに過ぎていて、なのに全員独身で。

もしかしたらタイミングを逃したとか、そういうことを考える相手が今はいないのかもしれないけれど、そうなった原因に間違いなく私たちファンが絡んでいます。

だから、まだまだ結婚はしなさそうな若手のジャニーズに私が興味をもって、いざ来るべきが来た時の悲しみを和らげる良い機会だと思いました。

 

でも、誰かは誰かの代わりにはなれない。現になれなかった。

こんな苦しい思いをもしかしたら今後もすることになるのなら、こんなに入れ込むような応援の仕方はやめたほうがいいのかもしれない。

 

でも、そうしない自分が想像できない。

知ってしまった。彼らを応援することの楽しさを。

 

いつか来るのかな、ジャニーズをもっと遠くから観る日が。

あんな時代もあったねといつか笑える日が来るのかな。(中島みゆき

 

 

 

そして、私は来世でジャニーズになりたい。(唐突)

現世での記憶を持ったまま、ジャニーズの一員になりたい。

 

以前から誰かの熱愛報道とかが出るたびに、いつも大学で一緒の友達(みんなジャニオタ)にはたびたび漏らしてきたんですが、今回のことで(しつこい)強く思いました。

 

脱退、活動休止、熱愛報道などの好ましくない報道が出るたび、ジャニーズと私たちファンの間の距離が一時的に望ましくないものになってしまうとき、彼らは一体どういうことを思ってるんですかね??

みなさん、気になりませんか?

 

熱愛報道の時は開き直ってるんだろうか。

(言葉悪いけれど)「お前らファンが俺らと結婚できる、付き合えるわけではないんだし、彼女の1人や2人いなくちゃ、デートや旅行がなくちゃ、やっていけねえよ。」なって思ってるんだろうか。(私の想像です。)

 

メンバーの誰かに熱愛報道が出た時はどう思うのかな。

「自分だっていつか出るかもしれないし。」とお互い様な気持ちなのかな。

 

熱愛報道が出た人も、メンバーに対して申し訳ない気持ちとかあるのかな。

それとも「仕事のことじゃないし。メンバーには関係ない。」みたいな感じなのかな。

 

ジャンプやキンプリのファンが新幹線を停めてしまったときなどのように、ファンがい

きすぎた行動をしてしまったときは、私たちファンに対してどう思ってるんだろうか。

 

私は一生懸命彼らの気持ちを分かりたくて、彼らの気持ちを想像するんだけれど、やっぱり限度がある。

あたりまえだ、そんなの。

だって私は彼らじゃないし、ジャニーズじゃないし。

友達もいるし、これまで誰かと何かを協力してやってきたこともあるけれど、自分の行動のせいで、何人何万人という人に影響を与えるかもしれないことや、自分の行動や決断が何かを協力してやっている他の誰かに、とてつもなく大きな影響を与える経験なんて今までない。

 

だから、熱愛報道だとか今回のこと(しつこい)の時に、彼らとの間の厚すぎて高すぎる壁を感じるんだろうか。

 

きっと今のままの記憶を保ったままジャニーズになれたら、私、相当売れると思う。

めちゃくちゃジャニーズとしての人生楽しめると思うし、ファンの気持ちもとてもわかると思う。

 

 

 

・・・まとまりのない記事になりましたが、2019年1月27日現在、こんなことを考えています。

今回のことが出て、普段からよく読ませてもらっている方々のはてなブログの過去の記事を漁りました。

みなさん多かれ少なかれ、今回のことのようにジャニーズのファンであるが故の悲しい、苦しい経験をされているようで、その経験を記事に残してくださっていました。

今の私の気持ちと、その方々の気持ちが全く同じとは思わないし、完全に分かり合えるとは思わないけれど、この気持ちをわかってくれる人はこの世にいるんだとなんだか救われた気持ちになりました。

なので、私も勝手に励まされた勢いのままにブログを始めて、誰かに気持ちを分かってもらえれば、誰かの気持ちを分かってあげられればと思います。

 

「信じることがすべて」なんてよく言ったもんだな。予言か。